★「民主ふじみ」掲載記事への反論 日本共産党富士見市委員会は「民主ふじみ」紙上等で 私の発言の一部だけを利用して自分達の正当化に利用 しています。 発言の一部を利用した一方的な記事では真実が伝わりません。 そこで、過去の私に対する記事について反論をしたいと思います。 @選挙違反議員について「6月議会では何とかと関野議員電話で答える」 という記事について。 これは、私の支持者をかたった匿名の電話に丁寧な応対をしたときの 会話の一部の「6月議会に審議されますので傍聴に来たらいかがですか」 という私の発言を捻じ曲げたものです。 A6月24日「民主ふじみ」紙上で教科書採択について、 現場の教師を遠ざける県の圧力に迎合する質問をしたという記事について。 これは、長年不透明であったとされた教科書採択について、採択年度にあたり、 保護者の声も反映された開かれた採択をするように質問したもので あたかも一部の教科書が採択されるように意図した、という記事の内容は 私の質問の意図するところとかけ離れた内容になっています。 B8月12日同上紙上の「陳情2件不採択に」について @「少人数指導推進のための加配を求める」とありましたが 正しくは前文に「富士見市独自による」がつきます。 先ずこれだけとっても、内容に?がついてしまいます。 私は少人数指導を否定した発言は一切していません。 人格の形成の過程での社会性を身につけていくうえで 多くの出会いの大切さ体感できるクラス運営、それに伴う 指導力の重要性を申し上げました。 市の教育委員会は、少ない予算の中、現在の出来うる限りの制度を 利用して加配を試み実行しようとしています。 今後の予算の拡充はもとより、県へも働きかけていき、 教科・生活指導の両面からの少人数指導のあり方を模索していきます。 A「校舎の耐震診断と大規模改修を求める」について これは、耐震診断と大規模改修1棟あたり約1.5億円かかることについて 新座市の例をあげ、耐震強化工事のみならば1棟約5000万円、 1/2国庫補助を利用して、耐震強化工事のみを早急にすべきだと 発言したのです。耐震と大規模の同時進行にこだわると 子供達にとって安全な校舎は早急に実現しないと訴えたのです。 この結果、富士見市では校舎の耐震補強工事優先に方針変更されました。 C1192 2001年12月16日号「市民の願いに背を向け少人数学級 請願・陳情不採択」について ☆「市民の願い」とありますが教職員組合が代表となる請願が果たして 多くの市民を代表しているのでしょうか?(陳情は保育所の保護者) このことについては、請願に賛成した一部議員も明確に答えませんでした。 繰り返しになりますが、私は学習集団としての「少人数指導」の必要性は 再三訴えています。生活集団としての「少人数学級」には賛成できないのです。 関野は討論もしないで反対と有りましたが、討論は反論もできないし、自分の主張を いわば一方的に言いっぱなしのシステムです。私がその前の質疑で十分に意見を 言いました。 その点を隠蔽して都合のいい記事に仕上げています。 ☆全国の学校を見てみると様々な工夫をし、集中力を持たせる授業をしています。 15分単位で授業時間を分けて教科によってフレキシブルに対応している学校も あります。 また、一時間を二つに分けて、国語と図工などという少人数指導をしている学校 もあります。 教師自らの知恵と努力で子供達のためにわかりやすい授業を目指そうとしている 学校もあるのです。学校は自らの殻に閉じこもり閉鎖的にならないで 多くの成功事例に学ぶべきであると思いますが、皆さんはどう思いますか? D敬老祝い金市況条例の廃止条例の改悪に賛成討論 ☆これだけ読むとあたかも高齢者を切り捨てるような発言に感じるかもしれませんが、 高齢者との係わり合いを、特定の年齢に限ってセレモニーとして祝うのでなく、 身近な地域で日常的なかかわりを大切にしながら、参加しやすい地域での敬老会の 大切さを訴え、市の補助による敬老会の地域開催に賛成したのです。 E2002年6月9日1215号「行革とは何?」の認識もばらばら・・・という記事について ☆やはり日本共産党の体質が窺えます。みんな同じでないといけないのですね。 いろいろな考えがあって、意見を戦わせることが出来るのが、民主主義では? 全て同じ意見でなくてはならないなんて、何年か前の日本に逆戻りしてしまいそう・・ 私の意見として引用された部分も、私の前に発言していた、ある議員が、議会の議決で 作られた、行財政改革調査特別委員会そのものについて、相変わらず認めようとしない 議会無視の発言については触れられていません。私は、「行革とは新たなサービスを生み出す ために、事業の見直しをして、削れるところがあれば削って、新たなサービスを生み出す ことが出来る一面もある」と愛知県の犬山市やお隣の志木市の例を挙げて発言したのです。 行革を人減らしに代表される合理化であるとか、国の下請け的な作業であるとか言って、 自分たちと意見が合わない議員の発言を利用して構成し、一切行革を認めようと用としない、 自分たちの発言には一切触れていない記事です。 F2002年6月16日1216号「教育関係の陳情二件が不採択に」と言う記事について。 ☆これは、志木と同じように独自に25人学級をとか、30人学級の実現について国に意見書 を提出をと言う陳情です。これらの陳情に、とりわけ富士見市独自の加配をして、志木と同じ ような25人学級の実現をしてほしいと言う陳情に対して、その内容にただ単に少人数、少人数 と言っているだけで、その際にどういう教育の改革があるのか、また今までどのような工夫をして その限界がどこにあリ、少人数学級が最善で必須なのか明らかにされていませんでした。 保護者の声と言っていながら、毎年定期的に出されるこの陳情は、いつも教職員組合のみの 提出者で、まるで提出の記録を残しておくことに重点を置いた陳情であるようにに感じました。 私は、今まで一貫して、教育委員会に様々な提言をしてまいりました。教育の大切さは誰よりも 強く認識している自負がありますし、今までも行動や発言を通して実践してきました。 志木市においても、6月15日の読売新聞の記事にあるように、少人数ばかりでない学級運営を 実践しています。つまり、ただ学級構成を少なくすればいいというのでなく、様々な指導方法の 工夫が求められるのです。つまり、教職員の意識改革、資質の向上があってこそ少人数学級の意味があ るのです。先生が忙しいから、子供たちにお便りを出すのが大変だからと言う理由で (共産党の主張)で少人数学級を目指すなんて、子供たちは厄介者ですか? でも、少しは安心してください、共産党の竹村議員は「教師は聖職であるのでとりあえず信用 してください」と、教師聖職論を唱えました。苦し紛れの発言かもしれませんが、共産党の、 教職員組合が支持していると思われる議員からの発言としては価値があるかもしれません? G2003年3月16日1253号「保育所の陳情が不採択に」と言う記事について ☆この中で「関野 兼太郎委員は『危険箇所や施設上の不備も多く見受けられるというが不適切な記述で はないか』などと言い陳情に込められた市民の要望の主旨を受け止めようとしない」との記述がありました 。これは審議の前段で、行政として危険箇所が認められた場合、要望に応じ順次対応していると言うやり 取りがありました。そこで私は、陳情にあった上記の部分について市当局の感想を伺い、危険箇所につい ての対応を再度確認し、差し迫った危険箇所が当面ないとの答弁をいただいたものです。またしても、私 の発言を改ざんした内容にして記事にしています。なお、記事に『市民の要望』とありますが、ちなみに陳 情者の富士見市保育団体協議会は、保護者団体と、保育所の職員組合、市役所の職員組合で構成され ています。 H2004年5月6日発行「あんてな」 発行:日本共産党水谷東支部について ☆このチラシは、共産党議員の実質的な機関紙として党員によって配布されています。 このなかで、市民福祉活動センター条例の審議の中の児童活動センターの利用に関する審議で、関野は土日の 開設について前向きな質問しておきながら、この共産党議員の提出した修正案に対し否決した云々と書いていま す。 自ら主張したことに反した行動であると決め付けています。 しかしながら、審議でのやり取りはもっとたくさんあって、私の質問や主張に対して、近隣の同様の施設が休日は 親に返すということから休館している例もすくなくないという当局の説明があり、当面は当初の形式でスタートし、 利用状況を見て改善していくというやり取りがありました。他の議員に対しても同様の答弁がありました。私もそれ ならばということでこの条例に賛成したのです。一度言い出したら決して後に引かないという自己主張の強さも必 要でしょうが、それがいつのまにか正義・正論に変えてしまう、勘違いさせてしまう論理思考をしている方々とは私 は違います。 いつものことですが、発言の一部をとって前後のやり取りを省略させて、自分の考えを正当化する手法は一貫して います。良識ある市民の皆様の冷静な判断をお願いするものです。 このように、私の発言の一部のみを利用して、 自分たちを正当化した記事に、組み立てています。 市民の皆さんに、正しい現実をご理解ただきたく 心よりお願いするものです。 |